2008年5月28日水曜日
『グッバイラヴタウン』特集4
さあ、特集四回目は、「風博士の杉山は、実際に京都にグッバイを告げ旅に出た」についてディグディグしましょう。
・
突然だが、中田英寿が引退したときに発表した声明文のキーワードは、「自分探し」だった。
ナカタが好きだった僕は、当時、それを読んだとき、ずいぶんとがっかりした。
そのとき書いたブログは、ひどくナカタをコケにしている。
『月にムラッとくるも』 自分探しの旅に出るひと
今読むと目も当てられぬほど酷く、醜い文章だ。
一方的で、独善的、腐っており、若い。
自戒の意味も込めて、ここに晒す。
・
僕は今、「自分探し」をしている。
旅の目的こそ「自分探し」ではないが、僕のやっていることは、結果的に、「自分探し」だ。
旅が、出会いが、僕に、そのことを教えてくれた。
・
今年の初め、仕事を辞めて、音楽を志したとき、僕には根本的な不安があった。
それは、他人の目が異常に気になって、過度に緊張して、手が震えてしまう、という積年の悩みだった。
そんな状態で、音楽など、出来るわけもない。
少々矛盾めいた物言いだが、音楽は、どこまでも力を抜いてこそ、力が出せる類のものだからだ。
これは、僕が音楽修行で得た結論のひとつだ。
まあ、そんな状態でもライブはやっていたし、録音もした。有難いことに、それなりの評価も得たと思う。
ただ、自分の中で、ステージや録音で、いつも力を出し切れない自分がいて、どこかしら晴れぬモヤモヤを、ずっと抱えていた。
実は、自分が、過度に他人の目を気にしてしまう理由は分かっていた。
いじめだ。
僕は、中学一年のとき、いじめられていたのである。
ある日のこと、当時通っていたサッカースクールの遠征試合があったので、朝、集合場所に行ってみると、昨日までは仲良く話していた友人たちの様子がなにやらおかしい。「おはよう!」と声をかけても返事がない。僕はみんなに近づいて、「どうしたの?なにかあったの?」と問いかけるが、みんなは途端に僕から離れていって、コソコソ話ながら、冷たい目で僕を見ている。僕が目を合わせようとすると、急いで視線をはずす。気が付けば、僕の周りには誰もいなかった。僕はそこにいなかった。
あのときの切なさは、今でも克明に思い出すことができる。
切ない。胸が痛い。
いじめは、サッカースクールだけではなく、学校でも一緒だった。サッカースクールのメンバーのほとんどが同じ学校だったのだから当たり前だ。
僕はクラスで孤立した。
唯一遊んでくれたのは、心優しい文悟と、秀才のざんちゃん。
本当に、感謝している。
いずれ探し出し、会って一献、酌み交わしたい。
話が逸れた。
とにかく僕はシカトの対象となり、クラスで孤立したのだった。
虐めている方は、たかだかシカトと、ひょっとしたら虐めているという意識すらなかったかもしれないが、僕には死ぬほどショックで、実際、死にたいなどと母親に言ってしまう始末だった。
あの時の母との格闘は忘れられない。
もう死にたいよ、と言った途端、母は泣き叫びながら僕に飛びついてきて、羽交い絞めにし、僕をぶった。
僕は抵抗して、格闘になった。
僕は心から、愛されていたのだ。
当時は自分のことで頭がいっぱいで、そういうことに気が付く余裕などなかった。
今は、あのときの母の愛が、痛いほど、分かる。
そのでかさと、深さ。
この感情は、感謝などという言葉では到底言い表せない。
ああ、また話が逸れた。
とにかく、僕はいじめられていたのだった。
その後、僕はクラスを飛び出し、他のクラスのやつらと遊んで、虐めを避けた。
もう、別に、無視されても平気だった。
友達は出来たから。
ただ、心の傷は癒えなかった。
それ以来、毎回ではないが、人前で何かしたり、注目されたりするようなことをすると、過度に緊張し、手が震え出して何も出来なくなってしまうようになった。
他人の目を気にするあまり、人前で力を発揮できない子に育ってしまったのである。
・
僕は、ずっと、そんな自分の性状を、変えたかった。
そして、旅に出た今、僕は、しっかりと、変わりつつある。
もう100%手が震えないとは言えない。
震えることもあるだろう。
それほど、心の傷というのは癒えにくい。
でも、僕は、ひとつ、新たな自分を見つけたのである。
確実に、良くなっている。
心の傷も、僕のステージも、この世界も。
・
ふと中田の引退声明文を読み返してみると、タイトルが「人生とは旅であり、旅とは人生である」だった。僕は友人たちとの別れ際、相手が旅人でなくても、「よい旅を!」ということにしている。それはまさに、人生とは旅であり、旅とは人生であるからだ。すべての人に、よい旅を、そして、よい人生を。そして、ここまで読んでくれたあなたに、心の底から一言を。
"ありがとう、これからもよろしく"
(次回はいよいよ旅の全貌が明らかに・・・)
・
突然だが、中田英寿が引退したときに発表した声明文のキーワードは、「自分探し」だった。
ナカタが好きだった僕は、当時、それを読んだとき、ずいぶんとがっかりした。
そのとき書いたブログは、ひどくナカタをコケにしている。
『月にムラッとくるも』 自分探しの旅に出るひと
今読むと目も当てられぬほど酷く、醜い文章だ。
一方的で、独善的、腐っており、若い。
自戒の意味も込めて、ここに晒す。
・
僕は今、「自分探し」をしている。
旅の目的こそ「自分探し」ではないが、僕のやっていることは、結果的に、「自分探し」だ。
旅が、出会いが、僕に、そのことを教えてくれた。
・
今年の初め、仕事を辞めて、音楽を志したとき、僕には根本的な不安があった。
それは、他人の目が異常に気になって、過度に緊張して、手が震えてしまう、という積年の悩みだった。
そんな状態で、音楽など、出来るわけもない。
少々矛盾めいた物言いだが、音楽は、どこまでも力を抜いてこそ、力が出せる類のものだからだ。
これは、僕が音楽修行で得た結論のひとつだ。
まあ、そんな状態でもライブはやっていたし、録音もした。有難いことに、それなりの評価も得たと思う。
ただ、自分の中で、ステージや録音で、いつも力を出し切れない自分がいて、どこかしら晴れぬモヤモヤを、ずっと抱えていた。
実は、自分が、過度に他人の目を気にしてしまう理由は分かっていた。
いじめだ。
僕は、中学一年のとき、いじめられていたのである。
ある日のこと、当時通っていたサッカースクールの遠征試合があったので、朝、集合場所に行ってみると、昨日までは仲良く話していた友人たちの様子がなにやらおかしい。「おはよう!」と声をかけても返事がない。僕はみんなに近づいて、「どうしたの?なにかあったの?」と問いかけるが、みんなは途端に僕から離れていって、コソコソ話ながら、冷たい目で僕を見ている。僕が目を合わせようとすると、急いで視線をはずす。気が付けば、僕の周りには誰もいなかった。僕はそこにいなかった。
あのときの切なさは、今でも克明に思い出すことができる。
切ない。胸が痛い。
いじめは、サッカースクールだけではなく、学校でも一緒だった。サッカースクールのメンバーのほとんどが同じ学校だったのだから当たり前だ。
僕はクラスで孤立した。
唯一遊んでくれたのは、心優しい文悟と、秀才のざんちゃん。
本当に、感謝している。
いずれ探し出し、会って一献、酌み交わしたい。
話が逸れた。
とにかく僕はシカトの対象となり、クラスで孤立したのだった。
虐めている方は、たかだかシカトと、ひょっとしたら虐めているという意識すらなかったかもしれないが、僕には死ぬほどショックで、実際、死にたいなどと母親に言ってしまう始末だった。
あの時の母との格闘は忘れられない。
もう死にたいよ、と言った途端、母は泣き叫びながら僕に飛びついてきて、羽交い絞めにし、僕をぶった。
僕は抵抗して、格闘になった。
僕は心から、愛されていたのだ。
当時は自分のことで頭がいっぱいで、そういうことに気が付く余裕などなかった。
今は、あのときの母の愛が、痛いほど、分かる。
そのでかさと、深さ。
この感情は、感謝などという言葉では到底言い表せない。
ああ、また話が逸れた。
とにかく、僕はいじめられていたのだった。
その後、僕はクラスを飛び出し、他のクラスのやつらと遊んで、虐めを避けた。
もう、別に、無視されても平気だった。
友達は出来たから。
ただ、心の傷は癒えなかった。
それ以来、毎回ではないが、人前で何かしたり、注目されたりするようなことをすると、過度に緊張し、手が震え出して何も出来なくなってしまうようになった。
他人の目を気にするあまり、人前で力を発揮できない子に育ってしまったのである。
・
僕は、ずっと、そんな自分の性状を、変えたかった。
そして、旅に出た今、僕は、しっかりと、変わりつつある。
もう100%手が震えないとは言えない。
震えることもあるだろう。
それほど、心の傷というのは癒えにくい。
でも、僕は、ひとつ、新たな自分を見つけたのである。
確実に、良くなっている。
心の傷も、僕のステージも、この世界も。
・
ふと中田の引退声明文を読み返してみると、タイトルが「人生とは旅であり、旅とは人生である」だった。僕は友人たちとの別れ際、相手が旅人でなくても、「よい旅を!」ということにしている。それはまさに、人生とは旅であり、旅とは人生であるからだ。すべての人に、よい旅を、そして、よい人生を。そして、ここまで読んでくれたあなたに、心の底から一言を。
"ありがとう、これからもよろしく"
(次回はいよいよ旅の全貌が明らかに・・・)
手間と塩梅
「豚とトマトのパスタ」
料理でもっとも重要なのは、手間と塩梅だと思う。
料理は愛情というが、残念ながら、愛情だけでは料理は美味くならない。
もちろん、料理に愛情が不可欠であることは間違いない。
その愛情を、手間という形で具現化してはじめて料理が美味くなるのだ。
そして、決め手は、塩梅である。
塩加減によって、料理は化ける。
攻めすぎてはいけない。しかし、ぎりぎりまで攻めるのである。
最近、素材を生かすと称して、軟弱な塩加減の料理が増えた向きがある。
しかし、それは間違っている。
素材を旨く食うには、塩でぎりぎりまで攻めて、輪郭をはっきりさせてやることなのだ。
それが、真の意味で、素材を生かすということだろう。
料理でもっとも重要なのは、手間と塩梅だと思う。
料理は愛情というが、残念ながら、愛情だけでは料理は美味くならない。
もちろん、料理に愛情が不可欠であることは間違いない。
その愛情を、手間という形で具現化してはじめて料理が美味くなるのだ。
そして、決め手は、塩梅である。
塩加減によって、料理は化ける。
攻めすぎてはいけない。しかし、ぎりぎりまで攻めるのである。
最近、素材を生かすと称して、軟弱な塩加減の料理が増えた向きがある。
しかし、それは間違っている。
素材を旨く食うには、塩でぎりぎりまで攻めて、輪郭をはっきりさせてやることなのだ。
それが、真の意味で、素材を生かすということだろう。
2008年5月26日月曜日
2008年5月25日日曜日
2008年5月23日金曜日
2008年5月21日水曜日
全国ツアー情報更新
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=kazehakase
全国ツアーの大まな予定を言いますと、今週末渋谷のあと、千葉県木更津に行きまして、その後長野に行きます。で、また七月の頭に京都を通って、今度は九州に行きます。その後また関西。いまのところ、予定はその辺までです。
もちろん、その道中、いけるところはどこでも行くから、是非ライブをさせてください。前日だっていいんだぜ。
北海道とかさ、誘われてて、ほんといきたいしそのうち絶対行くんですが、まだ、もうちょっと、ライブを重ねたり、知り合いをたくさんつくらないと、オカネの面からきつい。ただ、それはいまのところ、です。たくさんの関係性を紡いでいけば、やってできないことはない。旅には、そもそも、そういった性格がきちんとありますから、まあ、なんとかなります。というわけで、そのうち東北北海道にも絶対行くぞ。もそっと待っててくだされ。
全国ツアーの大まな予定を言いますと、今週末渋谷のあと、千葉県木更津に行きまして、その後長野に行きます。で、また七月の頭に京都を通って、今度は九州に行きます。その後また関西。いまのところ、予定はその辺までです。
もちろん、その道中、いけるところはどこでも行くから、是非ライブをさせてください。前日だっていいんだぜ。
北海道とかさ、誘われてて、ほんといきたいしそのうち絶対行くんですが、まだ、もうちょっと、ライブを重ねたり、知り合いをたくさんつくらないと、オカネの面からきつい。ただ、それはいまのところ、です。たくさんの関係性を紡いでいけば、やってできないことはない。旅には、そもそも、そういった性格がきちんとありますから、まあ、なんとかなります。というわけで、そのうち東北北海道にも絶対行くぞ。もそっと待っててくだされ。
2008年5月19日月曜日
白川温泉と型染め作家関美穂子
白川温泉はガケ書房に行ったら大抵寄る銭湯。場所は、ガケ書房のちょっと北に行ったところ。京都では珍しい看板建築の銭湯で洋風の素敵な外観。内装も実に風情があってよい。けど、老朽化が激しいので、是非修繕して欲しい。
先日、SOZOROのNEWアルバムリリースライブで知り合った、実にキュートな型染め作家の関美穂子さんは、この白川温泉の二階にある居住空間でお仕事されています。昨晩、白川温泉でたっぷりと湯に浸かったあと、関さんとばったり再会し、せっかくなので遊びに寄らせてもらいました。写っているのは、着物の帯だそうです。アトリエって素晴らしい。
で、同じく白川温泉二階の住人、くろちゃんの部屋。エレクトリックな音楽やってる友達ができて俺はすごく嬉しい。
というわけで、白川温泉の二階からこんにちは!
2008年5月17日土曜日
2008年5月16日金曜日
音をあつめて4 No.60 京の竹林
朝は風が全くなく、まるで音がしなかったので、風が吹くまでしばし休憩、近く公園で一眠りしてたらいつのまにやら人がたくさん… 朝は全く人気がなかったのに…これでは 騒がしくて音を聴くどころではない。このあたりは年中観光客がたくさんなので、風が緩い日の、早朝がオススメ。
登録:
投稿 (Atom)