2009年3月18日水曜日

風博士の風まかせ 第二章 旅立ち

鞘から抜いたはずの覚悟が、無残にもへちゃげいたことに気がついたのは、愚かにも、ステージに立った後であった。

帰路は、激しい自責の念との戦いであった。

あの旅の、あの日々の、あのグルーヴは、なんだったのだ?意味がなかった?まさか。そうではないだろう。ミュージシャンであるために始めた旅で、実感として、自分はミュージシャンであると感じていた、あの日々は幻だったとでも?

そういえば、そもそもこういった自問自答を旅の道中でしたことはなかった。考えに考えた挙句、考えることを放棄するために旅に出たのだから、当たり前だ。その結果、僕は、まがりなりにも、ミュージシャンとして生きることができたのだ。

実は、旅に出てから、自問自答がむっくりと鎌首をもたげたのは、このときが最初ではなかった。ふと「あれ、おれ自問自答してる」と感じたのは、両脇に姪たちを抱え、「おかあさんといっしょ」を観ながら、「ぱわあっぷ」しているときだった。

愛に溢れた眩しい日々のなかで、鞘から抜いた覚悟はその剣先を鈍らせ、なまくらになっていった。主夫とは、自分の人生を第一義にする存在ではない。家族の人生を第一義にしてこそ、主夫なのである。己の表現を自分の第一義に据えるのであれば、そうでなかった日々に、なまくらになってしまったとしても、仕方のないことなのではないのだろうか?

しかし、ここで、もう一度問おう。
君の覚悟は、そして君の表現は、愛でもって、鈍ってしまうような、そんな類のものなのか?

そうではない。
断じて、そうではない。

自分の二十歳の言葉を思い出す。
「ロゴスとパトスの折衷点を突きぬけろ」

この表現は稚拙である。何を言いたいのか、いまいち伝わらない。が、しかし、言いたいことは、分かる。ある程度は伝わるはずだ。自分の中だけ言えば、二十歳のころに感じていたことと、いま感じることの根幹は、変わってなどいないのだ。だとすれば、愛でもって表現を輝かしてこそであって、その逆では、報われない。

だから、俺の愛は、止まらない。

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